中央アジア
中央アジアとは
中央アジアの定義・意味など
中央アジアとは、狭義では旧ソ連の西トルキスタンを指し、次の5カ国を含む地域をいう。
- カザフスタン
- キルギス
- タジキスタン
- ウズベキスタン
- トルクメニスタン
参考:岩波書店 『広辞苑 第六版』
広義では、内陸アジア(中央ユーラシア)という用語の内容とほぼ一致する。
平凡社 『世界大百科事典』。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、53頁。
中央アジアの位置・場所
中央アジアの自然
気候
乾燥気候
中央アジアは年間降水量のきわめて乏しい、極度の乾燥地帯に属する。
平凡社 『世界大百科事典』
中央アジアの社会
民族
トルコ系・イラン系
宗教
イスラム教徒が多い。
岩波書店 『広辞苑 第六版』
中央アジアの経済
牧畜・綿花
中央アジアの歴史
シルクロード
中央アジアではオアシス都市を結んでシルクロード(オアシスの道)が通じていた。
西トルキスタン
トルコ系遊牧民のウイグルは744年に突厥を滅ぼして建国し、8~9世紀にモンゴル高原を支配した(744~840)。
ウイグル帝国は100年近く繁栄したが、840年、西北から侵入してきたキリギス人に倒され、ウイグル人は四散した。
岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、179項。
四散したウイグル人は、内モンゴル・甘粛・天山山脈に逃げ込んだ。
天山山脈に逃げたウイグル人はその北麓に新しい国を建てて、タリム盆地のオアシス都市を支配した。
岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、179項。
パミール高原の東西に広がるステップ(中央アジア)とオアシス地域(新疆。タリム盆地)はインド・ヨーロッパ語系のイラン人が住んでいたが、ウイグル人が持ち込んだトルコ語が話されるようになって、この地域のトルキスタン(トルコ人の土地、国)化が始まった。
『理解しやすい世界史B』 文英堂、1994年、123頁。『角川世界史辞典』 KADOKAWA、2001年、669頁。岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、179項。
そして、19世紀後半、ロシア帝国がトルキスタンの西部(主にアムダリア川・シルダリア川流域の中央アジア)を征服して、トルキスタンは初めて明確な境界線を持つに至った。
このロシア領=西トルキスタンに対して、パミール高原を境にして東のタリム盆地などの清朝(中国)領内でトルコ人が住む地域=新疆は東トルキスタンと呼ばれるようになった。
『角川世界史辞典』 KADOKAWA、2001年、669頁。『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、110頁。『理解しやすい世界史B』 文英堂、1994年、123頁。
ソビエト連邦の誕生
20世紀にソビエト連邦が誕生すると、シルクロードは分断され、中央アジアは世界が東西に分かれ、国家や文明が衝突する最前線となった。
ガチアジア「中央アジア 祈りの源流を掘る~93歳・執念のシルクロード」 [NHK総合] 2015年11月15日放送より
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