アフガニスタン(アフガニスタン・イスラム共和国)
アフガニスタンの基礎データ
位置・場所
アフガニスタンは中央アジアのイラン高原北東部を占める内陸国である。
正式名称
アフガニスタン・イスラム共和国
正式名称はアフガニスタン・イスラム共和国(アフガニスタン・イスラムきょうわこく)である。
面積・人口
面積
面積は、65.2万平方キロメートルで、日本の約1.7倍である。
参考:アフガニスタン基礎データ | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/afghanistan/data.html
人口
- 1993年…1769万人
- 2016/2017年…2916万人
都市
首都
カブール
その他主要都市
アフガニスタンの社会
民族
アフガン人(パシュトゥーン人)
アフガニスタンはアフガン人(パシュトゥーン人)が過半を占める。
建国以来この民族が支配して現在に至っている。
平凡社 『世界大百科事典』
なお、2003年にアメリカなどで発売されたグレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ著の『シャンタラム』では、アフガニスタン人について次のような記述がある。
ヨーロッパ人やアメリカ人の多くはアフガニスタン人を乱暴で血に飢えた人種と思っているが―アフガニスタン人はそう聞かされると決まって喜ぶ―彼らとじかに触れ合うたびに、そんなアフガニスタン人像は覆された。正面から向き合ってみると、アフガニスタンの男たちは友好的かつ寛大で、あくまでも誠実で礼儀正しかった。
言語
アフガニスタンはダリー語(ペルシア語)、パシュトゥー語を公用語とする。
宗教
イスラム教
アフガニスタンの政治
政体
共和制
アフガニスタンの経済
産業
農業・遊牧
オアシス農業と遊牧が主産業である。
アフガニスタンの歴史
18世紀中頃、アフガン族が建国し、1838年アフガニスタン王国が成立した。
そして、1973年クーデターにより共和国となる。
小学館 『日本国語大辞典』
アフガニスタンの国際関係
ロシアとの関係
第二次世界大戦後の政府の外交方針としては非同盟中立を維持し、米ソ双方から援助を受けた。
しかし、隣国のパキスタンを経由しないで西側諸国との貿易は成り立たないところ、アフガニスタンとパキスタンとの対立が激化した。
アメリカはアフガニスタンよりパキスタンを選び、アフガニスタンはやむなくソ連に依存することになった。
平凡社 『世界大百科事典』
アフガニスタン侵攻(アフガニスタン紛争)
1979年、左翼政権の存立をはかるため、旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、国際世論の批判を浴びた。
『シャンタラム』では、旧ソ連のアフガニスタン侵攻について次のような記述がある。
(アフガニスタンは)石油や金やそれ以外、人が欲しがるような資源の埋蔵量は大してないが、それでも大きな価値がある。ロシア人がアフガニスタンを欲しがっているのは、西側との境界線上にあるからだ。彼らはさまざまな支援や救済措置を実施して、外交的な手段でアフガニスタンを支配しようとしてきた。そして、自分たちの側の人間を政権に送り込み、傀儡政府をつくった。アメリカはそれが気に入らなかった。で、冷戦における瀬戸際政策を取った。ロシア人の傀儡政府に心底腹を立ててる人間、つまり敬虔なイスラム指導者たちを支援して、アフガニスタンの世情を不安定にさせた。実際、そうした指導者たちはロシア人が国を変えようとしているやり方に怒り狂っていた。女たちを働かせ、大学に行かせて、ブルカで頭から足元まで覆いもせず、人前に出させるやり方にね。だから、ソ連軍を攻撃する銃や弾丸や資金を提供するとアメリカから持ちかけられると、その申し出に飛びついた。それを見て、ロシア人は仮面を脱ぎ捨て、アフガニスタンに侵攻した。その結果、戦争になった。
『シャンタラム(下)』 新潮文庫、2011年、22頁。
現在のページが属するカテゴリ内のページ一覧[全 17 ページ]
- 西アジア
- アフガニスタン(アフガニスタン・イスラム共和国)
- アフガニスタン―カンダハール
- イスラエル(イスラエル国)
- イラク(イラク共和国)
- イラン(イラン・イスラム共和国)
- イラン(イラン・イスラム共和国)―歴史
- オマーン(オマーン国)
- オマーン―経済
- オマーン―日本との関係
- カタール(カタール国)
- クウェート
- サウジアラビア(サウジアラビア王国)
- トルコ(トルコ共和国)
- パレスチナ
- レバノン(レバノン共和国)
- レバノン―都市―ベイルート
現在のページが属するカテゴリのサイトにおける位置づけ