イラン(イラン・イスラム共和国)―歴史
イラン(イラン・イスラム共和国)の歴史
1950年代
イランは第2次世界大戦中、中立を表明していたが、英ソの駐留を許したため、戦後、外国軍の撤退を要求する民族運動が広まった。
イランはサウジアラビアに次ぎ世界第2位の原油の埋蔵量を誇るが(2009年末時点)、イランの石油は当時ほとんどがイギリス資本の支配下にあり、イラン国民はその恩恵を受けていなかった。
そのため、特にイラン産石油を独占するイギリス系企業の国有化を求める声が強まった。
一部引用:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、378頁。
1951年
1951年に政権についたモサデク首相は石油の国有化を実行した。
1953年クーデター
そのため、米英の情報機関がクーデターを実行し、モサデク首相を失脚させた。
アメリカを後ろ盾に国王パフレヴィー2世が王制を敷き、民族運動を抑え込んだ。
なお、シーア派のイスラム教指導者ホメイニ師が対抗勢力として台頭したものの国外に追放されている。
1979年イスラム共和制に移行
抑圧に怒る国民は国王の追放を求め、1979年にホメイニ師が亡命先のパリから帰還すると、国王は亡命した。
このイラン革命により親米の王政(イラン最後の王朝であるパフラヴィ(パーレビ)朝)からイスラム共和制に移行し、ホメイニ師は初の最高指導者になった。
その結果、国王を支援してきたアメリカと反米感情が強く残るイランの対立が激しくなり、石油価格が急騰して第2次石油危機が起こった。
1980~1988年イラン・イラク戦争
2002年
イランの核開発問題
2002年、イランによる18年間にわたる未申告の核活動が発覚した。
イラン基礎データ | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iran/data.html
「悪の枢軸」
そして、核開発をめぐり欧米諸国などとの対立を深めた。
ブッシュ大統領はイラクと北朝鮮の他、イランを「悪の枢軸」と呼んだ。
アメリカ政府はイランの核開発を特に注目するようになり、国際社会とともに厳しい制裁を科した。
2015年核合意
イランは核開発は平和利用であることを主張するも、2015年には経済制裁の段階的解除を条件に核開発の制限に合意した。
しかし、アメリカ政府(トランプ大統領)は2018年に合意から離脱し、制裁を再開した。
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