インドネシア
インドネシアの基礎データ
位置・場所
インドネシアはアジア南東部、西にスマトラ島、東にニューギニア島の西部、北にボルネオ島の中南部と東西5110キロと非常に長く、18000以上の島々からなる世界最大の島嶼国家である。
参考:『地理用語集』 山川出版社、1996年。 『理解しやすい地理B』 (改訂版) 文英堂、2008年、187頁。元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、146頁。
正式名称
インドネシア共和国
正式名称はインドネシア共和国である。
面積・人口
多くの日本人はインドネシアについてあまり知らないが、この国は「隠れた大国」である。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、142頁。
面積
インドネシアの面積は約189万平方キロメートルで、日本の約5倍である。
インドネシア基礎データ | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html#section1
人口
インドネシアの人口は約2.55億人(2015年)※と日本の約2倍で、中国・インド・アメリカについで世界第4位である。
※インドネシア基礎データ | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/indonesia/data.html#section1
なお、人口の2/3はジャワ島に集中している。
『理解しやすい地理B』 (改訂版) 文英堂、2008年、187頁。
都市
首都
ジャカルタ
インドネシアの社会
民族
マレー系
国民の大半はマレー系である。
しかし、インドネシアはおおまかにみて70、細かく分類すると200もの民族で構成されている多民族国家
である。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、147頁。
外務省のホームページによれば、約300種族
と記載されている。
言語
インドネシア語
インドネシアの公用語はインドネシア語である。
宗教
イスラム教
インドネシアは2010年時点で人口の88%がイスラム教徒である。
共同通信社「世界年鑑」(2010年版)
ただし、バリ島だけはヒンズー教徒の島である。
『理解しやすい地理B』 (改訂版) 文英堂、2008年、187頁。
なお、インドネシアのイスラム化は14-15世紀から始まり、イスラム教徒の数は世界最多である。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、147-148頁。
インドネシアの経済
産業
観光
アパグループCEOの元谷外志雄氏はその著『誰も言えない国家論』でインドネシアの観光について次のように記している。
インドネシアといえば、やはりバリ島をはじめとする観光も重要な資源である。
…
インドネシア観光で一番の魅力はやはり自然であり、「石を投げれば必ず美しい自然に当たる」と言われるほどで地上の楽園といっても大げさではない。全世界の熱帯雨林の約10%がインドネシアにあり、スマトラ島の熱帯雨林は世界遺産に登録されている。ジャワ島にはボロブドールやブラバナンなど仏教やヒンズー教の遺跡、ジャワ原人が出土したサンギラン初期人類遺跡もあって、いずれも世界遺産だ。バリ島は日本人にもすっかりおなじみで、ビーチ、ショッピング、グルメ、それに独特の文化を味わえるのが人気の理由だろう。世界でも有数のダイビングスポットのブケナン島沖では巨大なサンゴ礁に数多くの熱帯魚が泳いでいるのが見られる。スマトラ島にあるトバ湖は最大震度が450メートルもある東南アジア最大の湖で、その周辺の景観はまた、息を飲むほどの美しさだ。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、146頁。
インドネシアの歴史
オランダの植民地支配(1602~1942年)
1602年にオランダがジャワに東インド会社を設立し、以後、オランダによる350年に及ぶ(過酷な)インドネシア植民地支配(東インド支配)が始まった。
なお、この地域が1つの政治体によって統一されたのはこうしてオランダが17世紀に建設を始め、20世紀初頭にようやく完成したオランダ領東インドの時代からである。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、147頁。
アジア初の共産党
1920年にはインドネシア共産党が旗揚げし、コミンテルンに加盟した。日本共産党の結成より2年早く、アジアにおける初の共産党である。
コミンテルンの世界的陰謀の布石は、ロシア革命から2、 3年しか経っていない時期に、赤道直下のインドネシアにも打たれていたのである。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、3頁。
日本軍による占領(1942~1945年)
1920年代後半から、後に初代大統領となるスカルノ氏らが結成したインドネシア国民党などが民族主義、独立運動を主導した。
しかし、オランダの植民地政府の厳しい弾圧にあって芽を潰され続けていた。
それが一転するのが、1941年に火ぶたを切った大東亜戦争、日本軍のジャワ島攻略である。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、149頁。
すなわち、1942年に今村均(ひとし)中将が率いる日本軍がオランダ領東インドのジャワ島に侵攻した。
日本軍はオランダ軍の半分の兵力だったが、わずか9日間でオランダ軍等は全面降伏し、オランダ人の一部はオーストラリアなどの近隣の連合国に逃亡した。
なお、これは住民の協力があったことが大きい。
以後、東インド全域は日本の軍政下に置かれ、これにより「オランダによる350年の東インド支配」が実質的に終了した。
日本軍はインドネシア人を差別し弾圧したオランダ人とは正反対の政策を取り、インドネシアの独立を目指した。
すなわち、今村中将は占領してただちに「1、日本人とインドネシア人は同祖同族である。2、日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする。3、同一家族、同胞主義に則って軍政を実施する」という画期的な布告を発した。
そして、日本軍は、民衆の安定のために、知名度が高く国民に人気があったが東インド植民地政府によって弾圧され続けていたスカルノとハッタなどを刑務所から解放した。
さらに、初等教育の実施や教師養成のための師範学校の設置、専門の訓練学校の設置による知識人の育成、インドネシア人の高級官僚への登用、インドネシア人による初めての軍隊の創設※なども行った。
これは後の独立戦争の指導的役割を果たした。
なお、『誰も言えない国家論』では、元谷氏とインドネシア独立の父、初代大統領スカルノの夫人であるデヴィ女史との次のような会談内容が記されている。
元谷 …。日本は台湾や朝鮮にインフラ投資をして、内地並みの教育に力を入れました。欧米諸国は植民地に教育もインフラ投資もせず、搾取するだけです。
デヴィ その通りです。欧米の植民地統治方法というのは、被統治者に教育を与えず、無学のままにしておく。これがアジア、アフリカの植民地だったのです。…
そして、1944年9月3日にはインドネシアの将来的な独立を認容する「小磯声明」を発表、さらに1945年3月には「独立準備調査会」を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させ、8月7日にはスカルノを主席とする「独立準備委員会」を発足させた。
以上、オランダ領東インド - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ領東インド、元谷外志雄 『誰も言えない国家論』149ー150頁、インドネシアにおけるオランダ350年と日本3年半の統治比較 ≪ 日本会議 https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/856 を参考。
独立宣言(1945年)
しかし、1945年8月15日に日本が連合軍に降伏したため、独立が反故になるかと思われた。
しかし、日本の敗戦からわずか2日後の8月17日にはスカルノとハッタが「民族の名において」インドネシアの独立を宣言した。
参考:オランダ領東インド - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ領東インド
そして、スカルノが初代大統領に、ハッタが副大統領に就任した。
なお、このときにスカルノ大統領が発表した独立宣言の原文の日付は「05年8月17日」となっている。これは、その頃に日本が使っていた暦の「皇紀2005年」の略である。つまり、独立宣言に日本の暦日を記載したわけである。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、150頁。
インドネシア独立戦争(1945~1949年)
これに対して、オランダはインドネシアの独立を認めず、東インドを再植民地化しようとして本国から軍隊を派遣したたため、インドネシア独立戦争が勃発した。
なお、約2000名に上る日本兵士がインドネシアにとどまり、スカルノのインドネシア軍に協力してインドネシア独立戦争に参戦した。これにより約1000名が戦死することになった※。
※インドネシアにおけるオランダ350年と日本3年半の統治比較 « 日本会議 https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/856
インドネシアの国立カリバタ英雄墓地にも20数人の日本人兵が埋葬され、秋篠宮ご夫妻や小泉純一郎首相、安倍晋三首相らが献花している(元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、150ー151頁)。
しかし、本土が荒廃し国力が低下したオランダは独立戦争を戦い抜くことができず※、1949年12月にハーグ協定によりインドネシアの独立を承認した。
※オランダ領東インド - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ領東インド
こうして、インドネシアが、国としてまとまりができたのは、第二次大戦後に独立を果たしてからである。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、147頁。
インドネシアの国際関係
インドネシアと日本との関係
貿易
インドネシアにとって日本は最大の貿易相手国であり※、最大の政府開発援助(ODA)供与国でもある。
また、日本はスマトラ沖地震・津波災害などの自然災害への復興も積極的に支援している。
※2008年の統計ではマレーシアの貿易相手国として日本は20.2%と1位である(『世界国勢図会』(2010/11年版) 矢野恒太記念会、2010年、336頁)。
他方、日本にとっては、外国から輸入する天然ガスのうち20%を占める最大の相手国で、ほかにも石油や石炭などのエネルギー資源、非鉄金属の原料などインドネシアへの輸入依存度は大きい。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、143頁。
現在のページが属するカテゴリ内のページ一覧[全 10 ページ]
現在のページが属するカテゴリのサイトにおける位置づけ